泥花宇宙曼荼羅

泥花で収穫された古代米。

精米された限定一武のお米は、みずっち米となり、

さまざまな人たちの口へと入り、生きるというエネルギーになった。

まだ残された種モミは、必然のことながら未来への夢の種とかわる。

掌に種モミをのせれば、また大地に植え、育ててみたいと思わずにはいられない。


おもえば偶然に新潟南区白根にたどりつき、偶然にそこに住む人と出会い、

偶然にアドバイスをいただいたり、偶然に手伝ってくれたり、

偶然に花弁形状の畦を作ったり、偶然に田植えをしたり、偶然に唄ったり踊ったり、

偶然に見に惹かれ訪れたり、偶然にそこで宴と酒に酔ったり、偶然に離れていったり、

偶然に泣いたり笑ったり、そして偶然に怒ったり、偶然に稲刈りをしたり、

偶然にはさがけをしたり、偶然に脱穀したり、偶然に精米したり、

偶然にみずっち米をたべたり、こんなに多くの偶然があるということは、

もはや必然であり縁である。


なぜだろう。なぜ必然なのだろ。

それはきっと地球に生きているからだ。

太陽系第三惑星であるこの地球には、偶然に水と土があるからじゃないだろうか。

人類がこの丸い船に乗って生まれ、生きるということは、

ひとつに『水と土の芸術祭』になったのと同じことだ。

唯一に土と水のある惑星だから。


ふだんは陶芸家であるぼくは心を耕し、土で焼き物を作り、

ふだん農家である人は、土を耕し、稲を育てる。

これにも偶然が待ちわびて、やがて茶碗と白米が出会うことになり、

手を合わせて感謝していただく。皆はつながっているのだ。

それは本当に頼もしいことなのだ。


みんなの汗と涙の種モミは、ふたたび来年も新潟で育つだろうし、

茨城でも新たに育つだろう。みんなひとりではない。

稲穂の星たちは、ひとつの輝きからつながる線となり、大地の星座なのだ。


地球に住んでいるかぎり、どこにでも水と土の偶然はつづき、

汗と涙の感動の種は偶然連鎖をつづける。

それは誰のどんな個人的なエゴをもっても、断ち切ることはできない。

それぞれの星の光輝きは違えど、泥花の星座関係だから。

新潟の夢は、また次の春をみんなの心が待ちわびている。   出町光識


追伸 泥花を見に来てくださった方々。泥花へと強力に協力してくださいいた方々。
    皆さんに良い新年の歳神さまが来ますように。
    

~2010泥花イベント~
泥花最終章フィナーレ 小正月
2010年1月11日 AM10:00~11:00 (準備は10日に行います)
新潟市南区アグリパーク

新年会クロージングパーティ  国道8号線 らーめん屋 勝吉にて 
会費2000円 どなた様もお越しくださいませ。

[PR]
by carat-dorohana | 2009-12-31 08:20 | 泥花通信